名城大学理工学部 応用化学科 永田研究室
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ブログ「天白で有機化学やってます。」 ブログ「天白で有機化学やってます。」

センター試験にムーミン2018/01/15(月)

大学入試センター試験の地理で「ムーミン」が出題されたと話題になっています。昨日の中日新聞から引用。

これを見ると、そんなに変な問題ではないですね。スウェーデン・フィンランド・ノルウェーについての情報を絵で示して、一番上のものがスウェーデンであると誘導した上で、タ・チ、A・Bのどちらがフィンランドかを問うているもの。フィンランドに関心があれば一目でわかりますが、特別な知識がなくても、アニメの方は「バイキング」がノルウェーだとわかるし、言語の方は明らかにスウェーデンに近い方がノルウェーとわかります。しかしまあ、「特別な知識があったら有利」になるのは確かなので、試験問題としてはあまり好ましくはないとは思いますが。

ところで、この設問が「ノルウェーはどちらか」だったら、もっと簡単だったでしょう。「二択なんだからどちらでも同じじゃん」と思う人は、試験には制限時間がある、という当たり前のことを見落としています。この問題を見た時に、「ノルウェーじゃない方を選べばいい」という判断に「一瞬で」到達する人と、「少し時間が」かかる人がいて、その差の積み重ねが得点の差になるわけです。

こういうのは、ある意味「受験テクニック」だと言えます。だけども、実社会でも「選択肢が2つしかないから、一方がダメだったらもう一つを選ぶしかないよね」という場面で、その結論が出せずにグダグダしている人っているじゃないですか。「受験テクニック」だと馬鹿にしないで、「考え方のトレーニング」だと思って、地道にやればいいんですよ。「受験勉強が将来何の役に立つかわからない」と悩んでいる受験生には、「ものの考え方を訓練することは、生きる力を高めることにつながるんだよ」と答えてあげたいと思います。

Digital Paper その後2018/01/09(火)

昨年購入したソニーの Digital Paper DPT-RP1 の後日談です。未だに商品名も型番も覚えられません。業務用とはいえ、もっと印象的な名前にしてくれればよかったのに。

実は、いきなり初期不良で交換になってしまいました。最初から、どうもタッチパネルの反応が悪いなと思っていたのですが、スタイラスペンを本格的に使い始めると、動作不良が目立つようになりました。この時すでに購入から2ヶ月ほどが経過していたので、修理扱いになるかなと思ったのですが、結局本体を交換してもらえました。(まあ、修理扱いであっても結局丸ごと交換だったのではないかと思いますが。)

購入当初は、主に pdf の閲覧用に使っていたのですが、レポートの添削にも使うようになりました。提出されたレポートを pdf 化して取り込み、そこにスタイラスペンでコメントを書き込みます。

スタイラスペンでの書き込みは、紙の書き込みとかなり近い感覚ですが、どうしても若干の違和感はあります。微妙なペン先のずれが発生するので、文字の形が乱れるのは致し方ありません。読めればいいか、と割り切るしかないですね。

pdf のビューワによっては、コメントが表示されない場合があるようです。スマホだとコメントが見えなかった、という報告が複数ありました。Digital Paper から取り込んだ pdf を Mac の「プレビュー」で一度開いて、「PDFとして書き出す」で改めて保存すると、改善されそうです。(もっとも、私の手元では「スマホで読めない」という現象自体が再現できてないので、本当に改善されるかどうかは不明です。ただし、Mac 上でも例えば GraphicConverter ではコメントが読めなかったのが、「プレビュー」で保存し直すと読めるようになったので、改善される場合があるのは確かです。)

購入してから今まで、60報ぐらいのレポートにそれぞれ数行〜数十行程度のコメントをつけてきました。スタイラスのペン先はかなりすり減ってきています。交換頻度は高めだと思っておいた方がよさそうです。


上が現状、下が新品のペン先。

こまめに充電しながら使っているため、バッテリーの保ちについてはあまり気になりません。バッテリーの寿命については少し気になるところではあります。

総合的には、当初思っていた以上に活躍しているかな、という印象です。また気がついたことがあれば、レポートしたいと思います。

あけましておめでとうございます2018/01/05(金)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

去年は4月に学科長になって以来、慣れない仕事に追われておりました。今年はもう少しうまく仕事を回して、「あまり忙しそうに見えない」ことを目標にしたいと思います。ただ、再来年度から有機化学カリキュラムの見直しを予定しており、今年中にその準備をしておかないといけません。ちょっとした教科書1冊分ぐらいの作業になります。学生の気質は年々少しずつ変わっていきますし、試してみたいこともありますので、空き時間を上手に使って進めていきます。

研究の方では、光反応への取り組みをもう少し強化したいと考えています。去年の前半に論文を一報仕上げたのと、後半に「応化チャレンジプログラム」で3年生と一緒にいろいろ検討したことで、少し手がかりが見えてきました。すぐに成果に結びつくようなものではないかもしれませんが、スタートさせたいと思っています。

大学入学共通テスト2017/12/20(水)

大学入試センターのウェブサイトで、「大学入学共通テスト」の試行調査について報告されています。新聞等でも取り上げられていたので、ご覧になられた方も多いでしょう。特に、数学の問題が従来とは大きく様変わりしていることが目を引きます。たとえば、「数学1・数学A」の「第2問」[2]-(2)。

44県それぞれの消費額単価を計算しなくても、図1の散布図から消費額単価が最も高い県を表す点を特定することができる。その方法を、「直線」という単語を用いて説明せよ。

特定した結果を答えさせるのではなく、「特定する方法」を記述させるのがポイントです。解答例には「正答の条件」が説明されています。

<正答の条件>
「直線」という単語を用いて、次の(a)と(b)の両方について正しく記述している。
(a) 用いる直線が各県を表す点と原点を通ること。
(b) その直線の傾きが最も大きい点を選ぶこと。
...(中略)...
※ 「傾きが急」のように、数学の表現として正確でない記述は不可とする。

重要なのは、最後の「数学の表現として正確でない記述は不可とする」という注意書きですね。つまり、やり方を理解していたとしても、それを「数学の用語を使って正確に」記述できなければ、この問題には正しく答えられないということです。

抜群に高い数学の能力を持っている人は、このような設問に違和感を感じるかも知れません。やり方を「言葉で」正確に表現できなくても、論理を正しく理解して答えを導き出せるのであればそれでいいのではないか、と。しかし、普通の言葉で表現することが難しくなるような最先端の数学であればともかく、高校卒業程度の数学の内容であれば、単に数式を操るだけではなく、それを言葉で説明できる能力も、問われるべきではないかと思います。

上の問題に現れている通り、現在進められている大学入試改革では、「記述式の問題を増やす」という方向性がはっきりと打ち出されています。もっとも、その主旨は理解できるものの、採点の時に「主観に左右されない」評価ができるのか、というのが大変に心配なところです。ただ、上のような問題例・解答例を見ると、「記述式」でありつつ評価の客観性を損なわない出題方法はありそうだな、という感触は得ました。

なお、化学の問題については、これまでのセンター試験と本質的には変わっていない印象を受けました。問題文が長く、読み解くために一定の国語力が要求される傾向はありますが、解答はすべて選択式となっています。また、長い問題文も、設問のための予備知識を提供することが目的であるため、「高校レベルを少し越えた化学の知識」を持つ生徒に有利になってしまっているように感じます。このままだと、受験勉強がまたしても「知識の詰め込み競争」になってしまいそうです。上の数学の問題のように、「どのように考えれば解答を導き出せるかを説明させる」設問は、化学分野では難しいのでしょうか。いろいろ検討していく必要があります。

大学の存在意義はなくなるのか2017/11/30(木)

Yahoo! ニュース、前屋毅さんの記事。インターンシップの低学年化は確かに進行しつつありますね。

大学に入学したら即就活、というわけだ。学生の本分は学業などとは、冗談でしかなくなる。大学の存在意義も薄くなる。就活の激化で、大学そのものが不要となりかねない。

大学の存在意義は最近いろいろな形で問われ続けていますが、ここでは「大卒生の就職」という視点に絞って考えたいと思います。そもそも、企業は大卒生に何を求めているんでしょうか。

以前にも少し書いたことがありますが、某大企業の人事担当者(を自称する人)が「重要なのは『その大学の入学試験に通った』という事実だけで、大学で何をしたかなんて誰も興味ない」と語っていたことがあります。また、体育会系の部活動をしていた人が就職で有利なのは「先輩に対する礼儀がきちんとしていて、体力があり、ハードワークに耐えられるから」だと言われています。いずれの視点も、大学での「学業」には全く意味を見出していない、という点で共通しています。

大学というのは元々は「学問をするところ」です。しかし、「学問」を生業にする人は世の中にほんのわずかしかいません。ですから、その他の大多数の人にとって、「学問」をすることに何の意味があるのか、ということが問題になります。この問題に対する答えが見つけられていないから、「大学の存在意義は何なのか」という議論になってしまうわけです。

私の考えでは、大学で学生が「学問をする」のは、「事実に基づいて客観的・批判的に物事を見る」というトレーニングを受けることです。文科系の学問の場合は、「事実」のところが「さまざまな立場の意見」に置き換わることもあります。実社会においては、社会的慣行や組織の力関係など、「客観的事実」以外のさまざまな要因が存在しますが、そういうものをいったん脇に置いて、いわば「理想化した環境」のもとで結論を導き出すのが、「学問」の役割なのです。これができるようになるには、かなり厳しい知的トレーニングが必要です。普通に「何となく」物事を見るのでは、「客観的事実」と「そうでない要素」を分別することができないからです。

企業が大学での学問を軽視している、というのは、「事実に基づいて客観的・批判的に物事を見る」ことを軽視していることに他なりません。最近、日本を代表する大企業において、不都合な事実を長期にわたって隠蔽してきた事例が続々と発覚しています。これまで大企業で行われてきた採用人事の傾向を見れば、これは必然の結果といえるでしょう。「大学での学業を重視しない」のは「批判的精神を育むことを奨励しない」ことであり、「先輩に対する礼儀を重視する」のは「組織や上司への盲従を良しとする」ことです。そういう人が選ばれて集まった組織が、自浄能力を備えることはなかなか難しいでしょう。また、複雑さを増す現代社会では、「客観的事実に基づく議論」に不慣れな人が舵取りをする企業は、生き残ることが難しくなってきます。

これから社会に出て行く学生のみなさんには、大学できちんと学んで、「客観的事実に基づく批判的精神」を大いに身につけていただきたいと思います。ただ、実社会では、必ずしもそのような「客観的な批判」が通じる相手ばかりではない、という現実もしっかりと見据えておきましょう。両方の視点が備わっておれば、難しい事態に直面しても、切り開く力が出てくるはずです。

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